2013年6月2日

今日も朝風呂。
週末の習慣化してしまったのかもしれない。
池の鯉に餌をあげながらも、
今日も水面に黄色い粉が浮いている。
やはり得体の知れないモノが空中に浮遊している。

何も欲しいモノはなく。
どこへ行きたいわけでもなく、
自分の創作活動に没頭するだけ。
これこそが生かされていることなのか。

世の中に対して自分に出来ることをやればいい。
それしかないのだから・・・

【日本食文化の世界遺産化プロジェクト】
今度は農林水産省での馬鹿な企み。よけい事以外の何物でもない。
[骨子]
我が国には、多様で豊富な旬の食材や食品、栄養バランスの取れた食事構成、食事と年中行事・人生儀礼との密接な結びつきなどといった特徴を持つ素晴らしい食文化があり、諸外国からも高い評価を受けています。
一方で、世界では自国の食に関する分野をユネスコの無形文化遺産として登録する動きがあり、フランス美食術、地中海料理、メキシコ、トルコの伝統料理が社会的慣習としてすでに登録されております。
日本の食文化については、世界的に見ても特徴的であり、これが無形文化遺産と認められることは世界の文化的多様性を豊かにすることともなり、非常に大きな意義を持ちます。
このようなことから、我が国においても日本食文化の無形文化遺産登録を目指し調査・検討を重ね、平成24年3月にユネスコへ登録の提案を行いました。

euがしたから日本も・・・とはいかにもYellow-Monkey的な発想。
寿司、刺身を広めて魚が食べられなくなり、
今やほしいものなど何もなく、食べたいものも何もない。行きたいところもない。
すべて1clickで間に合ってしまうからである。
無形文化遺産になったところで地産地消。
たまにご当地へ行くから食べてみようか・・・となるわけであり、
どこにいても食べられるとなれば食欲よりももはや話題性にすぎない。

5300年前のアイスマンでさえ肉食/草食のバランスを考え、ハーブを食べながら一方では鍼灸までもしていた事実がある。
食文化は何も変わっていない。
食べなくても生きていられる体があったらどんなに幸せだろう。
アイスマンがかかっていた動脈硬化にもならないですむ。

登山をしてまでアイスマンになる気力もないけれど、
風呂での溺死や心筋梗塞はいいかもしれない。
オフィーリアの溺死もいい。
できれば多留姫の滝などで・・・

ophilia

オフィーリアは気がふれていたのではなく、
気力がなくなり、生かされるがままにしただけのこと・・・
わかってあげてほしい。

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