【木を愛する訳】

「カーボンニュートラル」「循環型社会」やなどと言った説明をしたところで
相手を選びながら説明しなくてはならず
「灯油よりも安いから」
「価格の変動がないから」
「エアコン(≒74%)よりも熱効率が高い(≒85~90%)」で納得する
「木を燃やした方がエネルギーロスが少なくて済む」ものの
「木を燃やせばCO2が出てしまうのではないか?」なる質問が出る
「木を燃やして排出されるCO2は、その木が自分自身の光合成で生産した炭水化物から作られたもの」
「その木自身が光合成で吸収した以上のCO2を排出することはない」
故に木を燃やして得られたエネルギー分だけグレー電力(石炭や液化天然ガスにより作られた電気)が減少する
「むかしむかし、おじいさんは山へ芝刈りに行き 刈ってきた芝で暖をとっていた」は理にかなっていたことになる
成木に比べ若木の方がCO2をよく吸いO2を出すとなれば
トータルでは「カーボンマイナス」にもつながる
伐採と植林を繰り返すことにより他国に頼ることなく永遠の循環型社会を形成することができる
だからして11年間 間伐、伐採のまね事をして林道整備を訴え続けているのだが
井の中の蛙と化したおバカな政治屋たちは都市型政治に傾向化
となれば天災さんに祈りを続けるしかなく

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