2011年12月5日【GNH】

「幸福度」の試案を公表するという。
目的は何なのか?内閣府やOECD=経済協力開発機構などが都内で開いた会議の席上、古川経済財政担当大臣が発表したものらしい。
この中では「経済的状況」と「心と体の健康」それに「地域や人との関係性」の3つを柱にするとしている。そのうえで、子供の貧困率や自殺者の数、それに家族との接触の密度や放射線量への不安など、合わせて132の項目について数値化するとしており、来年からデータを集めて、有効性を検証することにしている。
国民が幸福かどうか実態がわからぬから思いついたのか?
幸福度を巡っては、先に国王夫妻が来日したブータンが、国民の豊かさをはかる目安として、GNH=国民総幸福という指標を取り入れているほか、OECDも国際基準の作成に取り組んでおり、日本としても流行に乗り遅れることなく思いついたのか?
何れにしてもこの手の政策には早いものの、政策になど反映された試しはない。
もしも幸福度が低かったならばどうするのか?
中途半端なまま姿を消すのが目に見える。
ちなみに法政大学大学院の坂本教授の率いる研究チームの「生活・家族部門」「労働・企業部門」「安全・安心部門」「医療・健康部門」の4部門を10段階評価し、そこから総合点を算出、ランキング化した結果によればトップテンを飾ったのは、福井、富山、石川、鳥取、佐賀……と都心から離れ人口も少ないいわゆる「地方」となった。(ちなみに長野県は7位)
「都市」の代名詞とも言える東京、愛知、福岡などは順位をあげることができず、大阪にいたっては最下位。
この調査結果からは人口の多さや街の開発度が必ずしも住民の幸せにはつながっていないことがわかる。(かといって過疎化された地方が幸せになるのだろうか?)
また北海道、京都、沖縄などの人気観光地が上記の観点から見ると評価が低いというのも意外。

幸せの定義などそうたやすいものではない。
なにも知らない方が幸せなのかも知れない。
なにも考えない方が幸せなのかも知れない。
知れば知るほど幸せではなくなってゆく。と思うのは自分だけなのだろうか?

何もしらない国へいって生きて逝く方が幸せな気がしてならない。

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