正心誠意

かつて「銀行が社会をつくる」といっていた金融業界が倫理も節度も捨て、「業」に走ったように、
今モノづくりが同じ道を歩きだしている。
そんなの当たり前・・・と言われるかもしれないが、我々零細企業の間に於いても同様な事が起こりつつある。
図面通りにモノを作る人間と、作るモノの目的が何かを知って作る人間とでは出来上がりが違う。
ここに日本人の気質があったのだと思う。
世界の工場。中国ならばいざ知れず、日本人の気質によるモノづくりが消えてしまったら、残るモノは何もない。
これもまた「グローバル化」というのだろうか?
何を基準とした言葉なのか知らぬが、嘆かわしい。
右脳型のモノづくりは金融により消えてしまうのか?
お金が先か?モノが先か?
モノづくりの後ろに経済が控えている。と考える人間はどのくらいいるのだろう?
モノづくりは自己満足に浸るクラフトマンしか残らぬのか?

欧米の財政危機が叫ばれるなかそれでも金融が生活の中心に位置する。
欧米からは日本の増税を煽る声が・・・
確かに高齢化が進めば、介護にお金が回り国債の購入者は減るかもしれない。
かといって増税路線に走るのはあまりにも国民を馬鹿にしている。
馬鹿にされるような国民だから問題なのだが・・・

よく思い出して欲しい。
日本や新興国はアメリカの国債を買い、アメリカは日本や新興国からモノを買う。
日本や新興国はそのお金でアメリカに投資する。
アメリカは新たなる金融商品を作り出しては日本や新興国に売りさばき、借金の利息以上の利益を得る。
この循環こそが現在の倫理なき金融業界を作り上げてきたとこを・・・

20年間に渡り、大手ディベロッパーと金融商品を淘汰すれば景気は帰ることを言い続けてきた。
大手ゼネコンはある程度淘汰された事は事実。
しかし、金融業界では金融緩和がなされあやしげな金融商品がはびこった。
モノづくりと異なり金融業界には製造者責任を負うことはない。
それを知らずに買った相手が馬鹿なのだ。
このように自己責任の元に欠陥のある金融商品(=だましの金融商品)が何の監査もされず市場に出てくる限り、どうにもなるまい。

「正心誠意」の正心とはどこを見ての正心なのか?
増税の道筋に対し異論を唱えられる者は誰もいないのだろうか?
如何なるにせよ、またもや結果的に米国の言いなりなるのだろうか?

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正心誠意 への1件のフィードバック

  1. T.EJI のコメント:

    私の父は物造りのプロだった。人生に一度、理屈では無理であるが意を決して、ある金型を作った。その金型は盆暮れになって飲むと、いつも金庫から持ち出してくる。自慢の金型だ。
    しかし、その金型は、その一度しか作れなかったそうだ。全ての管理を整えて自分の精神を整え集中した瞬間に作業が進み出来上がったそうだ。
    父いわく、この金型は私の精神の全てが入っているんだ、だから絶対にできると信じた時にだけ成功できたんだ。
    今、順番が違うとおもう。儲かるから作ろうでは無理なんだろう。
    必要だから作ろう
    水は常に上から下に流れる広がります、残念ながら下から上には上がって幅が広がるようにはできていない。

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