【フレームレート】

時間の速さが年代(n)とともに√n倍で増えて行くとしたら
子どもの頃毎日が長かったのもうなずける
記憶が飛ぶとは 記憶がないわけであり
こうして考えると 
時間なるものは静止画の集まりに過ぎないのかもしれない
事故などの一瞬の出来事がスローモーションのごとく長く感じるのは
フレームレートが早いものの画像の書き込み時間に頭が追い付かないわけであり
それが証拠に事故とは記憶が飛ぶからして起きるわけである
つまり人間のフレームレートは安定していないことになる

秒2コマの人もいれば
日1コマ 週1コマの人もいることになる
全ては「忙しさ」や「アルコール」「病気」・・・
いろんな理屈をつけているに過ぎない
本当は静止画の集まりなのかもしれない
だからして時間軸に関係なくして記憶している
つまり本来「時間」などと云うものが存在しないのかもしれない
だから未来が突然明日になることだってありうる
時計は理屈合わせの定規に過ぎない

認知症とは静止画がシャッフルされてしまい
理屈付けが出来なくなったにすぎず
思考は決して衰えていないのかもしれない

その証拠に健常者であろうともフレームレートが正確な人間は誰一人としていないのだから

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