2011年8月6日

今年も8月15日がやってきた。
いつものように8時15分、広島の方角に向かい合掌をする。
戦争に正しい戦争があるのかどうかは賛否両論ある。
でも人間は本来、傷つけ合うものでなく、助け合うものであると信じたい。
毎年、多くの人々の命を無駄にせぬよう生きよう。そう思って黙祷、涙してきた。
でも今年は人生のはかなさを感じ涙した。
確実に人の心は渇き、すさんでいる。

3.11の震災から、何かとヒロシマ/ナガサキとフクシマは比較、論じられる。
でもその大半は被爆と被曝。
被爆者の平均年齢は77歳になった。
忘れることは神様が人間に与えてくれた力でもあるのかもしれない。
でも、忘れてはならないことはある。
心に刻まなくてはならないことはある。

8月15日を、夏祭りや行楽のイベント同様にしてよいのだろうか?
戦争について考えるのは夏だけ。それさえもあやふや。
つらい思い出は忘れ、平和、平等を掲げて生きて逝けばよいのか?
豊かさや幸せとやらに明け暮れ、長生きこそよしとする人々。

原爆も震災も、昨日までの当たり前を瞬時に断絶してしまうものであること。を忘れてはならない。
他人事ではないこと。
この平和と言われる国で、自殺者は年間3万人を超え、食料は危なっかしく、空気は汚れ、人命よりも産業や経済を重んじる国になってしまったこと。
8月15日。
国民にとっての夏のイベントの一つにすることなく、一人一人が佇み考えるときである。
今だからこそ・・・

偲ぶ気持ち。
慕う気持ち。
心乾き切った人々に雨がほしい。
黒く、厚い雲が欲しい。
季節に流されぬ強い魂が欲しい。

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