2012年3月10日

明日で東日本大震災から二年。
二年たった今も再稼働の議論が続く、決められない国。
それどころか皆の記憶の中から忘れ去られようとさえしている。
遠く欧州ドイツでは福島に学び脱原発の行進がされているのに・・・
だからもっともっと自然が怒ればいいとさえ思ってしまう。
自然にも感情があるのだと思う。
叱るのでなく怒るのだと思う。

重視しなくてはならないのは内部被曝。
すでに十代での内部被爆者も表れ始めた。
後二年ほどすればより表面化するだろう。
明らかにこの国はモノの考え方は先進国でもなく後進国。
政治、マスコミから学者に至まで経済中心。
そこには感情は愚か人の命さえも存在していない。

感情を抑えるのでなく、感情を表に出そう。
何も考えず規則に沿うことほど恐ろしいことはない。
例え一人であってもおかしなことは「おかしい」と叫ぶべき。
宗教裁判で有罪になった際に「それでも地球は動いている」と言ったガリレオのように。

奇跡の復興を遂げたのはアメリカの民主主義というトリガーがあったから。
しかし今この国にトリガーを出す人はいない。

Netなる便利なツールができた今。
選挙でなく社会問題そのものにNetを利用すべきなのでは・・・
しもすわ町町長選にA.soなるHPを作ったように。

暖かな昼過ぎにペレットストーブを見に夫婦が来社。
年の頃は30代か?
ペレットに注視する点なかなかかしこい。
暖かな日が少ない方がいい。
炎を見ていると何故か心落ち着くから、
暑さにまかせて愚かな人々が愚かな判断をしないように、
揺らぎが心落ち着かせる。
自然界には1/fの揺らぎが数多くある。
人の心にも揺らぎがあるのかも知れない。

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