2012年10月29日

野田総理の所信表明における「明日への責任」とは如何なる責任なのか?
それどころかこの国がどこへ向かうかもわからないのだから・・・

もう政治ごっこはあきあきしたよ。

出張から帰社するといきなり元衆議院議員が来社。
あまりにも突然のことに玄関で追い返す。
選挙が近いことから挨拶にでも回っているのか?
自分がこの国をどうにかするみたいなことを言うものの
所詮党のしがらみによって動く歩兵にすぎない。
だから草の根運動をはじめたわけ。

だけど有権者そのものがしがらみ病や依存病なる感染病患者だったら・・・
ワクチンなどない。
落ちるところまで墜ちなければ気づかないのかもしれない。

悲しみはいつもすぐにやってくることを知っているからこそほほえむことができる。
悲しみを知らなければ愚痴や文句しかでない。
愚痴や文句を言う前に自分をふりかえり涙しよう。

人知れず見守ろう。
信じること。
それが生きて逝く証なのだから・・・

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