2012年8月14日

ちらつく選挙を前に新聞記事がにぎわう。
無党派層とは特定の支持党を持たない人のことを言う訳だが
今の政党の中で支持したい党が全くない人の場合は、何か特定な呼び方が必要になる気がする。
非党派層とでも読んでみてはどうだろうか?
組織票や党など関係なく、党でもグループでも提示された問題に対しての解法を示す。
それを国民が投票をして決める。といったシンプルなもの。
採用されたグループは責任を持って遂行する。
従ってそこには与党も野党もない。

A.solutionもそのグループの一つ。
国民が第一であれば一層のこと国民自らが参画できる国を作ってしまえばいい。
グループ以外の皆が評価する人となれば手抜きは許されない。
官僚は交通整理だけをしていればよいこととなる。

不平不満を言う前に自らが解法を考える癖をつけると、広き視野に立つことができる。

日経新聞の一面に「シニアが拓く」なる特集が始まる。
「終活で築く最期の安心」なる副題がついている。
思い出してみれば自分の場合は子供の頃から死について考えていた。
「死んだらどぅなるの?」
「あと何回ペダルを踏めばいいのだろう。」
そんな疑問に答えは見つからぬまま・・・
今、死との距離は一層縮まっている。

保険、任意後見精度・・・お金で安心を買うことなどできはしない。
この世で自分以上に自分のことを想ってくれる人がそばにいれば
この世で本人以上に相手のことを慕う自分がそばにいることができれば  何も要らない。
それこそがしあわせなことなのだから、
逝くときも共に逝けばいいだけのこと。

いよいよギリシャからメルトダウンが始まる。

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