5日に祈祷してもらい仕事始めをしてから早5日。
いろんなことが起こっている。
なぜに心通じ合えないのか?
無情な世の中を痛感する。
この世に分かり合えることはないのだろうか?
ヤンネ・テラーなる人の書いた「人生なんて無意味だ」なる書籍の題名を思い出す。
まだ読んでもいないのだけれど、
人と人なんてどうせ 違うものだから
分かり合う必要はない。
涙流せばすべてはおわりさ・・・
ではあまりにも悲しすぎる。
そこには虚しさしか残らない。
Eテレで新シリーズ「日本人は何を考えてきたのか」が始まった。
何も考えようが分かり合えなくては意味がない。
人間は皆「確かなもの」を追い続けて生きて逝くのだと思う。
でも確かなものなどない。
確かなこと。それは諸行無常の三原則のみなのかも知れない。
●この地上にあるもので永遠あるものは一つもない。
●形あるものは必ず壊れる。
●人間は生きて死ぬ。
沙羅双樹の花の色は白い。
盛者必衰の理をあらはす。
おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし
たけき者もついには滅びぬ ひとへに風の前の塵に同じ
しかしこの平家物語も今の世に残っているではないか。
興福寺の阿修羅像にその答えを探しに行くも
八部衆の中の守護者としての阿修羅は、かつて自分も帝釈天と戦いを挑むも常に負けていた。
八部衆の中でただひとり普段着にサンダルと言う軽装でありながらも、眉間にはしわが寄っている。
三面六臂の顔は過去、現在、未来を表しているというものの、何れが現在で、何れが未来なのか?
ただ、三面とも決して穏やかな感じを受けなかった。
何故に阿修羅がブームになったかは知らない。
でも生きていること自体が修羅場であり、如何なる風に吹かれ塵となるのか。
浮遊する塵は宇宙塵として、漂うだけなのかも知れない。
それでも飽くなき確かなモノを求めるとするならば、それは永遠の愛の他に何もない。
修羅場と知ったからこそ休むことなく歩ける。
生かされている自分を知ることができる。
ひたすら信じ、祈り続けることができる。
