生かされているということ

生かされているということ。
多くの人は、自動詞で「生きている」と思っている。
でも生まれたのも、自分の意志で生まれたのではない。
死ぬのも、自殺を除いて自分の意志で死ぬわけではない。
生きると言うことは自分の意志ではできない。
自殺は唯一自分の意志で出来るもの。
自分が生きているということ自体が、すでに自分の意志ではない。
だから苦しいのかもしれない。

そろそろ目に見えぬモノによって生かされていることに気づかなくてはならない。
信ずることにより、生かされている自分がいることに気づく。
それは神仏であったり、人であったり・・・

神仏もまた虚構かどうかは別として、信じることでのみ生かされていることは真実。
だから自殺をする事も出来ず、何かを信じ、生かされている。

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生かされているということ への1件のコメント

  1. T.EJI のコメント:

    眼に見えぬ者に生かされているということ、私も最近とても身近に感じています。
    何者かを探して43年間、ずっと外を探していましたが、どうも最近、内面的創造性や想いが起源であるということに気がつきました。
    もしかすると、何者かは内面の奥底にある自分の事ではないのかと感じています。
    メビウスの輪やクラインのボトルのように内面と外面の相互作用が人生体験を創造しているのでは、と考えます。
    長岡社長は、知っていらっしゃるのですね。

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