【敵は本能寺にあり】

昨日出張から帰社すれば農水次官の長男殺人事件の判決を巡っての判決のNewsが入る
裁判官のうわべの判決説明に思わず首をかしげる
「なぜ主治医や周りに相談しなかったのか・・・」などとみな他人事
果たしてそうだろうか?
この事件は育児放棄や馬鹿な男の子供への嫉妬とはわけが違う
被告は父親としてすべきことをしたのだと思う
被告は殺されるという恐怖心から 抵抗する息子の胸や首を何度も刺し続けたと説明した
当の本人がそう云うも果してそれも真実だろうか?
他人に迷惑をかけるくらいならば 一層のこと・・・
とうとうその時が来てしまった
そんな苦渋の選択が心中にある気がしてならない

親子とは何か
家族とは何か
恋人とは何か
親戚とは何か
社族とは何か
何時から希薄になってしまったのだろう
大切な関係だからこそ深く、強いものだと個人的には信じている
少なくとも昔の日本はそうだった

私利私欲に血税を使うような政治屋はいなかった
人生いろいろ 会社もいろ
国が働き方だの社則決めるような世の中ではなかった
目先の利益を追うことなく20年後30年先を見通しては植林や枝打ちをしていた

今30年は愚か5年先も読めない輩たちに何ができよう
目先の利益に目がくらみこの星の先を診ないその愚か者たちに何が決められよう
金の卵を産むニワトリのお腹を切り裂いてしまう童話そのもの

救世済民どころか民を苦しめる政治があるではないか
政治は内閣のモノでも官邸のモノでもない
政治は権力により収めるものでなく正論によって収めるものである
正論を崩す政治は要らない
民を苦しめる悪の中枢は与党、官邸にあり

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