【お返しなる文化】

関電の金品受領問題が紙面を賑わす
「お世話になったあの方に・・・」なるお中元やお歳暮は日本の文化として認められるも
「利益のためによろしくお願いします」は賄賂となりこれまた負の文化として未だ残っている
その違いが「公」と「私」にあることが分からない輩が多い
それがなぜかと言われれば権力・特権=出世なる思いが人間の根本にあるからである
個人と人柄に対してくれるのか 役職(権力)に期待してくれるのか
一方 面白いのは人間の性にもある
モノをもらえばお返しをするのは当然のこと
権力目的の場合 お返しがなければ必然的に取引は成立しなくなる
個人の場合でさえお返しがなければそれまでとなる
もっとも厄介な輩はお返しもせずして当然な顔をしている忖度ができない輩たちは論外
ではどうすればよいか
公だからお返しができないわけでもなく
お返しの仕方が権力を用いなければよいだけのことなのだが
常にイーブンな立ち位置にいることが自由の要となる
しがらみビームを交わす唯一の方法であることが分からない権力者が多い
だから「預かっていた」なる発言が恥ずかしくもなく繰り返される

おかしなことはまだまだとある
関電が高浜町議会に陳謝に行くも議会は叱責
陳謝すべきは市民へであり 叱責されるは高浜町議会である
町(森山元助役)を何故に今まで議会が監視できなかったか
ここは高浜町民が怒るべきであるのだが・・・
「幸せな県」とは違った意味での「幸せな県」なのかもしれない

もっとも国を見れば消した年金をしたり
ノーパンしゃぶしゃぶなどの接待を受けた犯人たちがいまだ捕まることなく
年金を扱い訳の分からないことを続けている
民間だから叩かれ 国だから叩かれない
そんな風潮に気づき始める人はいないのか

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