【2019処暑】

処暑とともに秋が深まる
温度、湿度、気流によりすべての生き物が生かされていることを改めて実感する
昼間のセミの鳴き声にもいつもと違いハリと伸びがあった

新聞では2020パラリンピックのアンケート結果が載っている
東京パラ閉会後の不安を8割弱のアスリートが抱えているという
当然のこと 今さら・・・なる気はするのだが
無論パラに限ったことではないのだが

パラリンピックには通常のオリンピックとは違う意味があると思う
自らの障害を受け止め 乗り越えて世界の舞台で競い合う
その姿に率直に心を動かされ励みになる。
これが一般的な解釈であり 故にいろんな種目を作り出す
でも果たしてそうだろうか
一報で外国チームの選手が事前合宿をしようにも地方では競技施設や宿泊施設でバリアフリー化が進んでおらず
パラチームの招致には「大きな課題」が上がっている
ここである
アスリートに限らず障害者に目を向けることがパラリンピックの真の目的があると思う

健常者と障がい者を分けること自体がおかしなこと
いつ障がい者になるかわからない
障がい者も高齢化する
故に先手を打つ必要がある
メダル数がいくつだのどうでもいいこと
単なる客寄せオリンピックとは意味が違う
「パラ競技の普及がバリアフリーに寄与する」確かにそうかもしれない
でもれいわのふたりの議員の声の方が即効性はある

観光立国の幕開けとしてのオリンピック
復旧復興も進まぬまま 思い付きの実績作り
すべてが負の実績であったことに気付くのはいつのことだろう

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