【敬老の日】

敬老の日とは年寄りを大切にての知恵を借りては社会を創ろう!
が始まりだったのでは・・・
それだけ昔は視野広き人々がいたのかもしれない
それが今はどうだろうか?
「もう老人だから・・・」「よくわからないから・・・」と身を引いてしまう
それでいて敬老の日となれば当然の顔をして敬老会へ出かける始末
目先のみで生きている人々が目立つのは自分だけだろうか?
医療技術や生活習慣が進めば高齢者はますます増える
その中においてわが身は差し置きながらもおかしきものを正す
そんな老人が増えてほしい
歳をとれば私利私欲もなくなる人も少なくはないだろう
敬老の日を受け入れずに認知症になってしまった母
今年も真心こもらぬ形だけの記念品が届くのだろうか
そのくらいならば敬老会など止めてしまい
たとえ500円でも金券を配布してもらった方が
送る人も受け取る人にも便利な気がするのは自分だけだろうか

半世紀以上生きてみて
過ぎ去ったものの中に佇むことは許され 慰みとなる
生かされる日々の中で
10数人の方言高論仲間と
すべてをさらけ出すことのできる秘人さえいれば
他は何もいらない
敬老の日など受け入れることなく逝きたいものだ

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【敬老の日】 への1件のコメント

  1. 小泉 正幸 のコメント:

    小泉です

    短いコメントを

    要するに、老人が増えて年寄りが減ったのです

    老人は、ただ年齢を重ねた人

    年寄りは、これまでの人生において得た哲学や人生観で行動する人–偏屈であったり
    偏狭で有ったりするが、学ぶべき事や見習うべき事がある
    ただ、それ故に疎まれ、嫌がられる—そんなことを気にして、何にもいわずに年寄りが老人に成り下がる
    年寄りは、年寄りらしく周りを気にせず、堂々と生きるべきだと思います
    もう、残された時間は少ないのですから!!! ?

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