震災の復興の財源を増税して賄うという。
これにより一層消費が冷え込むこととなる。(予想通り)
何故に万人からお金を集めようとするのか?(公平性?平均?)
これらには必ず犠牲が伴う。
この犠牲を解消するには負担の重心を平均値から上限の方向へ寄せることである。
ところが上限方向へ寄せたときに不平不満が出る。
お金を持っていても惜福の心を持った人がいるからである。
政府は金持ちの惜福の心を持った人よりも貧乏人の分福の心を持った人に負担を求める。
貧乏人の分福の心を持った人は不平不満を言うような人が少ない(不平不満の言い方を知らない)ことを政治家は知っている。
だからして犠牲が生じる。
誰一人として犠牲のでない世の中を創ることこそが政治の役目ではないのだろうか?
ソフトバンクの孫さんが100億の義援金のほか現役中の役員報酬をすべて義援金に当てるという。
分福を越えた植福。
これに対して政治家はどうだろうか?
誰一人として(共産党さえも)政務調査費をも義援金として差しだそうとする者はいない。
無論お金だけの問題ではない。
でもこれを機に国を動かす人たちの資格を考える時期なのかもしれない。
その現れが無党派層の増加に現れているのだと思う。
民主党を非難する自民党議員。
原発を勧めてきたのは他ならぬ自民党の原発議員に他ならないことを忘れないで欲しい。
本来ならば自民党没2年(三回忌)にあたる年である。
政治をする者自体が惜福の心を持っている限りこの国はよくならない。