【味覚】

食材偽装が叫ばれる中
再び味覚について考える。

味覚の違いもわからぬ人がとやかく言ったところで全く意味のなきこと
そこへ法で取り締まるというのだからしてもはやこの国は狂国と化している
どこまでルール作りをすれば気が済むのだろう
法が人を守るのでなく
法が人格を狂わせて逝く

自分にとっては身体へ健康のバロメータと化してしまった味覚
困ったことは時に量をオーバーしてしまうこと
腸が馬鹿な脳の指令に従ってしまう
何でもスマホで片づくのなら身体に適切な量を計測、警告してほしい

高級な食材を用いて味付けをする料理人よりも
ある物で料理をする料理人の方が格上であると考えるのは自分だけなのか

最近では味覚計なるものが出回りはじめたがそんな単純なものではないと思う
どんな高級(高価)な料理よりも 家庭料理がうまいのは何故なのか
同じビールを飲んでも日によって、相手によって美味しくないのは何故か
味覚なるもの五感の中でも最も情に影響されやすいからなのだと思う

コンビニの万人受けする味やその店の味、その料理人の味も美味しいけれど
母の作ってくれたカレーも 父の作ってくれたモツ煮も美味しかった
自分のために作ってくれた味は何ものにも変えがたい
そこには味に対する別の要素がある

味覚 = 味 << 情

もはやこれを戻すのには ブリ大根と君の笑顔しかない

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