【手話は言語】

今月8日に鳥取県手話言語条例案が成立する。
なぜに今まで放置されてきたのかが不思議でならない。
Eテレの手話Newsは会社でも見ているけれど、
せめて総合のNewsもこのスタイルになるといい。
この国は必要なものが遅れ不必要なモノばかりができている気がしてならない。

長野県では盲学校でも手話を授業として教えている。
障害者手帳を持つ耳の不自由な人は全国に30万人。
でも加齢とともに難聴に悩む人々は大勢いる。
補聴器は各社こぞって開発のしのぎを削るものの未だ性能のよきモノはできていない。
ならば手話を覚えることもコミュニケーション手段として一考すべき。

意思の疎通ができないことほど悲しいものはない。
健常者でさえ意思の通ができないで悲しい思いをするのだから、
心と心が通じ合わぬ世の中だから、
心と心の間に法が入りこみ様な世の中だから、
せめて意志を伝える環境くらいは整えなくてはならない。
心やさしく生きて逝くためにも・・・

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