【教育 vs 学習】

「全てが受け身の世の中」を象徴するもの。
それが教育なのだと思う。
教育をする者と受ける者がこれほど明確になっているものはない。
教育の目的は何だろう。
もしそれが知識であるとすれば・・・
今やNetで十分だろう。

松本市の才教学園 教員免許問題が問いかけるもの。
規制緩和が叫ばれる中、
この問題は注視すべき問題。
親は何を目的でこの学校に入れたがるのか?
思うに学力向上ではないだろうか?
それが果たして良いことか悪いことかは別として

その結果他校に比べ親子の目的が達成されたとすれば、
何も問題はないはず・・・
でもそこに法律なる壁が立ちはだかる。

身を以て実験をして、目的を達成することができたならば

科学技術の世界では発見となる。
でも教育の世界では発見とならないのは何故だろう。
資格の目的とは何か?
それは責任回避と既得権益以外の何ものでもない。

学力のみの視点で考えた場合、
己からの意志で学習すること。
その環境を作ること、手助けをすること
それが本来の教育なのだと考える。
祖父母でもいい
ボランティアの大学生でもいい
手助けをする者全てが教育者であるのだと思う。

幼い頃、祖父にいろいろ教えてもらった。
いろんなことを知っていて、
老人は皆何でも知っていると思っていた。
だから早く老人になりたいと思っていた。

現に古人には科学から音楽に至るまで
未だ以てその年では出来ないほどの能力や意志の強さを感じる。
ことものごとの解法については卓越している。

当時教育が現代よりも発達していたとは思えない。
古人にあって現代人にないもの
それは自らの意志で学ぶ姿勢なのだと思う。

そしてそれを壊したもの。
それが型にはめた解法や法律である気がしてならない。
それらが人間を幼稚化した諸悪の根元であるのだと思う。

子供大人関係なく、教育でなく学習でありたい。

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