横並びの世の中になったのはいつからだろう。
「人は人、自分は自分」なる考えがなくなってしまったのはいつからだろう。
原因は教育(文部科学省、教員、親)にある。
個性を伸ばすなどと行ってほめる教育、叱らぬ教育が逆に個性を潰したのではないだろうか?
教育はすべて強制に始まる。
挨拶やしつけから、スポーツ、習い事に至るまで・・・
人間も犬猫も同じなのであり、
言ってもわからなければ体罰を加える。
強制と思うか、規律やルールと思うかは人の感情によって決まる。
いつの間に体罰は承認できない、理屈が通らないとなった。
でも理屈が通らないことなどこの世にはたくさんあり、
そのいい例が国際問題である。
一体誰が教育をしたのか・・・
文部科学省、教員、親は事なかれ主義の責任のなすりあい。
個性重視のゆとり教育。
その結果が、個性をファッションと取り違えた人々を増産してしまった。
個性とはファッションなでなく「人は人、自分は自分」なる逝き方なのである。
何事もマニュアル化してしまうことは個性や創造を潰すことにつながる。
そして個性の背後には、必ずやその人に与えられた二つとない人生の重荷(悲しみ)をしっかりと受け止めている姿勢の良さがある。
だから重荷を経験しなければ個性は生まれないし、重荷の違いが個性となって輝くのだと思う。
こだわりはファッションであり、個性などではない。
個性のある人と仕事が出来ると楽しい。
だから無理にでも個性ある人と仕事をしたいのかもしれない。
そんな人が何故か集まってくる。