【責任】
福島第一のマークⅠについての興味深い番組が再放送された。(ETV特集:アメリカから見た福島原発)
核燃料容器の大きさについて設計者らがそのリスクについて認めている貴重な番組だ。
核燃料容器が大きければ、水素爆発のリスクが小さい訳だ。
NRCによれば1980年代にすでにリスク提唱をしている。
つまり想定内の話であったわけだ。
にもかかわらず研究者に圧力をかけ、NRCはこの案件から手を引いている。
その対策がベントとであること。
ベントにより核燃料容器の圧力そのものの爆発を回避するといったものだ。
今回の設計はGE。
GEのマークⅠは米国でも地震の少ない地域に採用。つまり耐震に弱いことになる。
それを知っていながらにして日本に販売したこととなる。
導入を検討した原発村の人々。無論この中には自民党議員も含まれる。
そしてGEの責任も誰も問わないのは何故なのか?
すべては情報操作されてしまう。
生命にかかわる技術の情報操作は犯罪そのものである。
政治家の責任。技術者の責任。
【愚かな人間】
人間の自信と傲慢さにより20世紀までの近代化が進んだとされるのならば、
21世紀はそれが過信であったこと。人間は愚かな生き物であることを再認識するのが21世紀なのかもしれない。
文明が進めば進むほど戦争が増え、人々が血を流し合う。
文明が進めば進むほど新たなる病気が増え、対策に翻弄する。
文明が進めば進むほど新たなる重大事故が増え、対策に行き詰まる。
となれば文明自体が間違っているのではないのだろうか?
あきらめることの勇気。
戻ることの大切さ。
歴史に学べば、いくつかの文明ができ、滅んだように、どこかでそれを悟らねばならない。
「国破れて山河あり」の時代。
政治がおかしくても、人々や自然、文化が残ればそれでいい。
最も大切なのは融通無碍な人の心。
コンピューターの進化とともに仕事の効率も速くなった、あるとき私は
やがて週休3日、4日にと思っていた。ところがどっこい
そうはいかなかった。パソコンの性能、通信手段の向上により得たのは休暇、余暇ではなく
さらなる儲かる方法論であり、さらなるスピード。そして失っていったのは自分で考える能力
物造りの設計、発案者の意思が、コストと製造ラインに入るマニュアル人間の過程を通過し出来上がった時には、半減している。精神が半減している。見た目はokだが、何かが違う製品になる。