【ゾンビ】

また個人情報保護法が起因した無情な事件が起きてしまった。
京都登校事故。
警察や学校が被害者の連絡先を加害者父親に教えてしまったことで個人情報保護法に触れるというものである。
しかし考えてみて欲しい。
この悪法がない数年前まではどうだっただろうか?
学校や警察が進んで情報を公開していなかっただろうか?
加害者からすれば誤りたいと思う感情はごく自然な想いである。
しかしその感情すら自分勝手なものとされてしまうとしたら・・・
人は皆感情をも持たぬゾンビと化せばよいのだろうか。

昔ならば、謝りにも来ない。なる被害者もいたはず・・・
それがいつしか「謝りたい」「会って話をしたい」なる感情は殺さなくてはならぬと言う。
この無情さが心の扉を閉め切る原因になっていることを誰も知らないのか・・・
そう想った時点で犯罪者なのか・・・

茨城殺人事件も同様なこと。
今では「ストーカー」なる言葉で片づけられてしまっている。
しかし、昔で言えば「無理心中」
誰よりも信じていたはずの人がいきなり離れていってしまったら、生きていても仕方ない。
なる考えはプレイボーイ以外純情な人であれば誰もが考えるだろう。

無情化してゆくこの世において心病まぬ者がいるとすれば、相当な幸せ者。
現代俳人の一人鳴戸奈菜さんの俳句を見つける。

ゾンビが増えれば増えるほど世捨て人呼ばわれするのかも知れない。
でも、それでも信じることが未だできるから・・・
右脳で考えることが出来るから生かされているのだと思う。

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